
昭和16年に始まった太平洋戦争で、酪農生産物のほとんどは軍用物資として徴用され、アイスクリーム製造は全て中止されます。
戦後、すべてが焦土と化した中でいち早く復活したのが、アイスキャンデーでした。店頭に1〜2馬力程度の冷凍機を置き、ブリキの氷結管に、水にサッカリンなどの甘味料などを混ぜ入れて、割箸をさし凍らせただけのもの。
25年頃まではこのアイスキャンデーが全盛でした。
昭和27年、雪印乳業がソフトミックスを使い、アイススティックの製造を開始。固いキャンデーに比べ、ミルクとバニラの滑らかな感触がアイスキャンデーにとって代わり、次第に時代はアイスクリームへと移っていきます。
![]() 小銃の銃床に使用したくるみ材を利用して作った「アイスキャンデーボックス」。 昭和23年頃に実際に売られていました。 |
![]() ドライアイスを入れて使う魔法瓶タイプのアイスクリームストッカー。 昭和20年代に使われていました。 |

| 日本のアイスクリーム広告は、明治12年『東京日日新聞』にのせた米津風月堂に始まります。 しかしその後、昭和20年代まではアイスクリームは「夏だけの冷たいお菓子」という時代が続き、メーカーの宣伝もその夏メイン商品を告知するくらいが常識でした。 ところが東京オリンピックを境に事態は一変。アイスクリーム宣伝の時代に入りました。 商品のイメージアップにタレントを起用したり、商品の訴求も単なる「夏の氷菓子」から、「高級」、「大人のデザート」などさまざまに広がっていきました。 |
昭和29年の「赤」「青」「黄」 |



