あいすくりんの誕生

日本人とアイスクリームの出会いは江戸末期のこと。幕府が派遣した使節団が訪問先のアメリカで食べたのが最初で、そのおいしさに驚嘆したと言われています。そして明治2年(1869年)、日本で最初のアイスクリームが横浜で作られます。文明開化の波に乗り、日本のアイスクリームの歴史は始まったのです。

万延元年の遣米使節団。彼等が日本人で初めてアイスクリームを賞味しました。船中での晩餐にアイスクリームが供されましたが、そのおいしさに目を丸くしたと伝えられています。

渡米使節団とアイスクリーム

日本で最初にアイスクリームを食べたのは、横浜開港の翌年、万延元年に日米修好通商条約批准(ひじゅん)のため渡米した徳川幕府一行というのが定説になっています。

この時の正使は新見(しんみ)豊前(ぶぜんの)守(かみ)で、以下77名の使節団が迎船ポーハタン号に乗り込みました。そして随伴船は咸(かん)臨丸(りんまる)。この船に勝海舟や福沢諭吉らが乗船し、サンフランシスコで使節団一行と別れ帰国しています。その後、正使一行はパナマ経由でワシントンを目指し、時の大統領ブキャナンと批准書(ひじゅんしょ)を取りかわしました。

そして上陸した時の迎船フィラデルフィア号の中でアイスクリームのおもてなしを受け、その模様が従者柳川当清の「柳川日記」に次のように書かれています。「珍しき者あり。氷をいろいろに染め、ものの形を作り、是(これ)を出す。味は至って甘く、口中に入るるに忽(たちま)ち溶けて、まことに美味なり。之(これ)をアイスクリンといふ。」見たこともない美味な菓子を驚嘆しながら食べた様子がうかがえます。

明治初期の馬車道通り

横浜馬車道で、「あいすくりん」誕生

咸(かん)臨丸(りんまる)で渡米した勝海舟に※私淑(ししゅく)して赤坂氷川町に住居を構えたと伝えられる町田房蔵は、明治2年(1869年)6月(新暦7月)横浜馬車道通りで氷と塩とを使用して、日本で最初のアイスクリーム「あいすくりん」の製造販売を始めました。

町田房蔵は渡米2回、アイスクリームの他、マッチ、石鹸、造船用鋲等の製造にも関係したと伝えられています。一説には、出島松造と言う人がこの房蔵にアイスクリームの製法を伝えたとも言われています。なお、この「あいすくりん」は牛乳、卵、砂糖で作ったと思われます。
※【私淑】直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考え尊敬し、模範として学ぶこと。

鹿鳴館の晩餐会でのメニュー表。料理はフルコースのフランス料理で、アイスクリームや洋菓子などのデザートが供されました。

鹿鳴館とアイスクリーム

“日本も欧米並みに進んだ国です”とデモンストレーションするために明治16年(1883年)に建てられた鹿鳴館(ろくめいかん)は、外国からの賓客の接待を目的とした※官設(かんせつ)社交場(しゃこうば)です。

そこでは連日連夜、欧米風の園遊会や舞踏会、バザーが開かれ、外国人たちが招待されました。明治19年(1886年)11月、フランスの艦長として来日したピエール・ロティも鹿(ろく)鳴(めい)館(かん)のレセプションに招待され、その著書「秋の日本風物」の「江戸の舞踏会」の項に、「アイスクリームが用意されていた」と書いています。当時、すでにアイスクリームは欧米人を接待するときの不可欠なデザートとして珍重されていたのでした。
※【官設社交場】国・政府が設立し維持する社交場のこと。

資生堂パーラーのアイスクリームは、卵の黄身とレモンの香りのおいしいフランス風アイスクリームで、たちまち銀座名物になります。

レストランでアイスクリームを食べる

明治8年(1875年)に東京・麹町の開新堂がアイスクリームを売り出し、風月堂、函館館もメニューにアイスクリームを加えます。明治35年(1902年)、東京・銀座の資生堂薬局(現在の資生堂)内にアメリカのドラッグストアを参考にしたソーダファウンテン(現在の資生堂パーラー)を併設し、アイスクリームとアイスクリームソーダの販売を始めました。

しかしアイスクリームは、25銭と庶民には高嶺の花の贅沢品でした。ところが、その頃、街では「一杯一銭」のアイスクリーム売りがいたことが「東京年中行事」に描かれています。