アイスクリーム前史

古代のアイスクリームは今のシャーベットのようなもので、お菓子としてではなく疲れた体を元気にする「健康食品」として利用されていました。アラブで、古代ギリシャやローマで、そして中国でも、この甘い氷菓は次第に人々の心を虜(とりこ)にし、王侯貴族や裕福な人たちに嗜好品として愛されるようになっていきます。

ジュリアス・シーザー

健康食品から嗜好品へ、古代の氷菓

氷雪は、はじめは食品を保存するために利用されました。
やがて雪や氷を冬に貯蔵しておき、夏に食べるようになりましたが、当初は兵の指揮を鼓舞し、肉体を元気づける健康食品として利用されていました。この氷や雪を「健康食品」としてではなく、純粋に嗜好品として求めたのがローマの英雄ジュリアス・シーザー(BC100~44)でした。
彼は若者をアペニン山脈に走らせ、そこから氷や雪を運ばせて、乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んでいたと伝えられています。

ネロ

ネロも愛飲した氷菓、「ドルチェ・ビータ」

暴君で名高いローマの皇帝ネロ(37~68)はアルプスから奴隷に万年雪を運ばせ、バラやスミレの花水、果汁、蜂蜜、樹液などをブレンドして作った氷菓「ドルチェ・ビータ」を愛飲していたと言われています。この「ドルチェ・ビータ」はローマ市民の間にも広がり、裕福な人々はそれぞれの自宅に氷の貯蔵庫を設け、宴会などで楽しんだと伝えられています。

また、ローマの将軍クイントゥス・マキシマス・グルゲオの文献には氷菓の製法が記され、これが最古のアイスクリームのレシピと言われています。中近東、アフリカ、ペルシャに及ぶ大帝国を樹立したアレクサンダー大王(BC356~323)は奴隷たちに山から氷雪を運ばせ、果汁に糖蜜を加えた飲み物を好んだと言われています。

『東方見聞録』に、マルコ・ポーロが中国宮廷の氷菓を伝えたと記されています。

マルコポーロが伝えたアイスミルク

アイスクリームがシルクロードを通り、中国からイタリアに伝わったという説があります。それを持ち帰ったのがマルコ・ポーロ(1254~1324)だと言われています。

1295年、マルコ・ポーロは父と叔父との25年間のアジア横断の旅を終え、ベネチアに帰還しますが、ジェノヴァとの間で戦争が起こり、不運にも捕らえられて投獄されます。獄中で口述したのが「東方見聞録」。マルコ・ポーロは北京で乳を凍らせた「ミルクアイス」を味わい、その製法をヨーロッパに持ち帰ったというのです。これはベネチアで評判になり、氷菓の製法は北イタリア全土に広がったと言われています。

イスラム圏の古い物語集成『千夜一夜物語』中にも、アラビアに伝わる冷たい飲み物「シャルバート」が出てきます。

「シャルバート」からシャーベットへ

「シャルバータ」はアラブ圏の砂糖を使い、氷や雪で冷やした甘い飲み物です。ところで、古代ヨーロッパ文明の中心は地中海でした。中でもシチリア島は東西文明の十字路で栄華を極めていましたが、9世紀前半から2世紀半にわたり、サラセンに支配され、イスラム文化が定着します。
アラブの「シャルバータ」も伝えられ、その名も「ソルベット」(シャーベットのイタリア語)と変わっていきます。シチリア島では多種多様の果物やナッツを使ったさまざまな香り高い「ソルベット」が作られました。その一つにシチリア名物の「カッサータ」があります。

「舎里八」の味に驚嘆したフビライ汗

シルクロードの妙薬「舎里八」とフビライ汗

アラビア文化圏の「シャルバータ」がシルクロードを経て中国にもたらされたという元の記録があります。大英帝国を建国したフビライ汗(1215~1294)は、かつて父の病をいやしたイスラムの妙薬を求めます。

それがサマルカンドの「舎里八(しゃりば)」で各種の果汁に砂糖を混ぜ、バラの香りを付けた水、龍涎香※(りゅうえんこう)などで風味付けし、雪や氷で冷やしたものです。フビライは「舎里八」のあまりのおいしさに驚嘆したと伝えられ、調合した医師サルギスを仕官させ、厚遇したと言われています。「舎里八」は「シャルバータ」の漢字訳です。

※【龍涎香(りゅうえんこう)】マッコウクジラの腸内に生じる結石を乾燥したもの。漢方薬、高級香料の材料