早わかり!アイスクリーム史

世界編 昔から、みんなアイスクリームが大好きだったんだ。そして一挙に世界へ…。

日本編 日本のアイスクリーム史は、近代化の歴史そのものって、知ってた?

早わかり!アイスクリーム史 世界編
古代ギリシャ、ヨーロッパ、そしてアメリカへそのおいしさは世界中に広がっていきました。

アイスクリーム前史

古代のアイスクリームは、今のシャーベットのようなもので、お菓子としてではなく疲れた体を元気にする「健康食品」として利用されていました。

アラブで、古代ギリシャやローマで、そして中国でも、この甘い氷菓は次第に人々の心を虜にし、王侯貴族や裕福な人たちに嗜好品として愛されるようになっていきます。

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有名なカエサルも氷菓を食べていたと伝わっています。

アイスクリームの伝播

16世紀の半ば、アイスクリームの歴史に大きなエポックが訪れ、その後のすばらしい発展のきっかけになります。それは、冷凍技術の発明とカトリーヌ・ド・メディチとフランス王アンリ2世の婚礼です。当時、イタリアで食べられていたアイスクリームがフランスへ伝わり、さらにヨーロッパ各地にも広がっていきます。

16世紀初め、イタリアでものを冷やす技術が大きく発展します。パドヴァ大学教授であったマルク・アントニウス・ジマラが、水に硝石を入れるとその溶解熱により水の温度が下がることを発見します。この方法を当時のイタリアの富豪たちは食卓でワイン等を冷やすのに利用しました。

次いで、氷に硝石を混ぜることにより冷やす時間をスピードアップさせる技術が開発され、ついに飲み物を凍らせることに成功。天然氷を利用しないシャーベットが作られるようになり、バリエーションも一気に広がりました。

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カトリーヌ・ド・メディチ

1533年、フィレンツェの大富豪メディチ家のカトリーヌは後のフランス王アンリ2世となるオルレアン公に嫁ぐ時、菓子やアイスクリーム職人をはじめ、多くの料理人を伴いました。

メディチ家の料理人たちによりイタリアの豪華な料理がふるまわれ、なかでも、木イチゴやオレンジ、レモン、イチジク、レーズンなどのドライフルーツ、アーモンドやピスタチオなどのナッツを使ったシャーベットのすばらしさにフランスの貴族たちは驚嘆したそうです。

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アメリカで発達したアイスクリーム

アイスクリーム、アメリカへ

アイスクリームはヨーロッパから新大陸アメリカへと伝わり、爆発的に広まります。今やアメリカは世界最大のアイスクリーム王国で、アメリカ人の生活はアイスクリーム抜きにしては考えられません。「アイスクリーム」と言う言葉も、実はアメリカで生まれたものなのです。

アイスクリーム産業の始まり

アイスクリーム産業化のきっかけは余剰(よじょう)クリームの処理でした。1851年、ボルチモアの牛乳屋ヤコブ・フッセルは余ったクリームの処理に困り、アイスクリームの生産・販売を思いつきます。

当時、市販のアイスクリームは1コート65セントで、それを25セントで売っても採算が合うと判断、牛乳工場をアイスクリーム工場に切り替えます。ここからアイスクリームの産業化が始まったのです。

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1951年、ボルチモアに建立された「アイスクリーム発祥の地」のブロンズ顕彰碑。「当地でヤコブ・フッセル氏が、1851年に世界で初めてアイスクリームを産業化したことをここに記念する」と記されている。

禁酒法時代にはビール会社が参入

アメリカの禁酒法(1920年~1933年)の14年間、アメリカはノン・アルコールの国でした。この間、多くのビール会社がアイスクリーム産業に参入し、新技術による今までにないアイスクリームが売り出されました。その一つがチョコレートをコーティングしたアイスクリームバー「エスキモー・パイ」でした。

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1920年代に製造されたアイスクリームマシン

早わかり!アイスクリーム史 日本編
文明開化で始まった日本のあいすくりん。「アイスクリームの日」は、アメリカよりも早く制定されました。

日本初の「あいすくりん」の誕生

日本人がアイスクリームと出会うのは江戸末期。幕府が派遣した使節団が訪問先のアメリカで食べたのが最初で、そのおいしさに驚嘆したと伝えられています。そして明治2(1869)年、日本で最初のアイスクリームが誕生しました。文明開化の波に乗り、日本のアイスクリームの歴史が始まりました。

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万延元年の遣米使節団

横浜馬車道で「あいすくりん」誕生

咸臨丸で渡米した勝海舟に私淑して、赤坂氷川町に住居を構えたと伝えられる町田房蔵は、明治2(1869)年6月(新暦7月)、横浜馬車道通りで日本で最初のアイスクリーム「あいすくりん」の製造販売を始めました。

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明治初期の馬車道通り

レストランでアイスクリームを食べる

明治8年(1875年)に東京・麹町の開新堂がアイスクリームを売り出し、風月堂、函館館もメニューにアイスクリームを加えます。明治35年(1902年)、東京・銀座の資生堂薬局(現在の資生堂)内にアメリカのドラッグストアを参考にしたソーダファウンテン(現在の資生堂パーラー)を併設し、アイスクリームとアイスクリームソーダの販売を始めました。

しかしアイスクリームは、25銭と庶民には高嶺の花の贅沢品でした。ところが、その頃、街では「一杯一銭」のアイスクリーム売りがいたことが「東京年中行事」に描かれています。

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洋菓子店「村上開新堂」

アイスクリームの工業化

大正時代半ば、アイスクリームの工業化が始まります。それまでは、レストランでしか食べられなかったアイスクリームが、家庭でも食べられるようになり、さらにカップアイスの登場で普及に拍車がかかります。

昭和10年代には、自転車にアイスボックスを積んで売り歩くアイスクリーム売りが現われ、日本の夏の風物詩にもなりました。

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アイスクリームの工業生産化がスタート

日本で初めてアイスクリームの工業生産を始めたのは大正9(1920)年、東京深川の冨士食料品工業(現在森永乳業グループの冨士乳業)です。米国製フリーザーを導入し、工業的にアイスクリームの生産を開始しました。次いで大正10(1921)年に、現在の明治の前身である極東練乳三島工場でも工業生産が始 まります。大正12(1923)年には、アメリカでアイスクリームの製造技術を学んだ佐藤貢が北海道札幌の自助園農場(後の雪印乳業)で、「自助園アイスクリーム」の製造を始めます。

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極東練乳 ブリックアイスクリーム

アイスクリーム時代の到来

戦後、アイスクリームの大衆化がさらに進み、現在に残る名品が続々と売り出されます。さらに、冷凍庫付きの家庭用冷蔵庫も普及し始め、アイスリーム時代が到来します。

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魔法瓶ストッカー(連結式)

カップアイスの定番「バニラブルー」

昭和28年、国産のカップ充填機が雪印乳業の品川工場で稼働を開始。その頃、ようやく日本製の紙カップも使用できるようになり、本格的にカップアイスの生産が始まりました。

大阪工場で生産されていた<赤><青><黄>のカップアイスがヒットしたのもこの頃です。やがて、その中の<青>カップがカップアイスの定番「バニラブルー」となり、現在も販売されています。

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昭和30年代の「バニラブルー」のパッケージ。

「ホームランバー」物語

昭和30(1955)年に協同乳業は、酪農先進国のデンマークから大量生産できるアイスクリームバーマシンを輸入、東京日本橋の本社ビル1階をアイスクリームの製造工程が見える工場としました。1本10円の「アイスクリームバー」を発売し、大量生産によりアイスクリームの大衆化の道を開きました。

昭和35(1960)年には、当たりくじつき「ホームランバー」を発売し、当時の子供たちに爆発的な人気となりました。当たりくじのしくみは、バーに当たりマークを焼き印し、当たり(ホームラン)が出たら買ったお店で1本無料で交換ができるというものでした。

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昭和35(1960)年発売の「ホームランバー」。今も続くロングセラー商品。

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